| 幌萌鐵道管理局 '96 臺灣鐵路紀行 | |
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Part.5
5/1 阿里山→嘉義
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● 阿里山の朝 朝3時半に起床。祝山線の切符を買うために早めにチェックアウトして阿里山站へ向かう。雨は止んでいるが霧がかかっており標高も2,000mを越えているので寒く、長袖の服を着込む。站に行くとまだ数人の客がいるのみで窓口は一向に開く気配が無い。4時を過ぎてやっと売り始めた。 切符を手に入れたので、かなり早いが腹が減ったので朝食をとることにし、駅舎から外に出ると食パンを油で焼いている屋台があった。ここのおじさん、英語が話せたのでそこで卵のついた焼きパンと暖めた牛乳を買い站で食べた。はっきり言おう、食パンを油なんかで焼いたら油吸っちゃってて寝不足の身にはこたえる。 やがて駅舎内は祝山観光客であふれんばかり。昨日嘉義から阿里山線で来た人はもちろん、バスや自家用車で来た人も御来光を見るにはこの鉄道を使うことになる。 そして4時15分頃に改札が始まった。切符には鋏を入れず、角をちぎっている。切符を残すにはちょっと痛い。
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● 祝山線 ホームに出たものの発車時刻になっても列車は入線してこない。結局10分以上遅れてやってきた。再びディーゼル機関車の推進運転である。先頭の客車に座席を確保、ロングシートであった。この列車、なかなか凄い編成で客車+機関車の編成が2つ連結されている。 そして4:40過ぎにようやく発車。外はいつの間にか大雨になっている。先頭には係員が2名乗務し、前方確認を行う。 数軒の宿がある沼平站では数名の乗客をが乗って来た。その中に昨日の鉄チャン達もいた。やがて眠月線の分岐が近づくと係員が車外へ飛び降りてポイントへ駆けて行った。そう、手動ポイントである。無事祝山線に入り列車は進む。 この祝山線の歴史は新しく、それまで交通機関のなかった祝山への交通の利便を図るということで1986年に開通している。 まだ周りは暗い為、景色がわからないうちに祝山へ到着。ホームで鉄チャン2人と再会し、この後一緒に行動することになった。
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ホームから階段を登りきると駅舎があり、その目前が展望台になっている。雨は小降りになったが玉山(日本名:新高山)などの山々は雨雲に隠れており、残念ながら御来光を見ることは出来なかった。
駅舎は屋根だけの簡素なつくりであるが、その中で何やらお店が始まった。店員は「ワサビ、ワサビ」と口々に叫んでいる。阿里山はわさびの名産地で、日本語がそのまま残っているのであろう。
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![]() ▲ 祝山站にて (1996.5.1)
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空が明るくなり帰りの切符を売り始めたので、切符を買い改札を通ってホームへ。列車の写真を撮り、やがて6時過ぎに発車。線路沿いに道路も並走しており、祝山から徒歩で戻る人が列車をバックに記念撮影をしている。で、約30分の所要時間で阿里山へ戻った。
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● 神木へ往復 阿里山站に戻ってから約1時間後に神木まで往復する列車がある。しかし站の表示ではどうも30人位限定らしい。とりあえず阿里山森林鐵道全列車を制覇する為に乗ることにする。 切符は直前まで売らないらしいので、商店街の方へぶらーっとしに行く。ほとんどの店はまだ閉まっているが、ワサビ売りが地面に広げてなにやら懸命に売り込みをしている。そんな中、ある商店のワサビ売場に日本語で「わさび」と書いたチラシが貼っている。よくよく見てみると、なんとそこには「信州安曇野」なんていう文字が。どうも平仮名で「わさび」と書いているチラシを適当に貼っただけのようである。しかし台灣のド田舎まで来て「信州」それも「安曇野」なんて文字は見たくなかったぞ、ほんと。(笑) さて7:45発の神木行列車に乗るため站に戻る。が、ベンチに坐ってると眠気に襲われちょっと眠りこけてしまった。その間に切符の発売が始まってしまったが、2人組が私の分も買ってくれたので助かった。 そして改札に入り列車に乗り込む。編成は客車2両。乗車率はそこそこ。そしてほぼ定時より7分遅れで発車し、約5分の道のりで神木へ到着。
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乗客は真っ先に神木へ向かい記念撮影をしている。我々も撮影をし、8:25発の折り返し列車の切符を購入。さてのんびり見てまわるか、と思った途端発車ベルが。慌てて列車に引き返し乗り込むとすぐに動きだす。時刻は8:01、定刻より24分も早い。全くこの鉄道は時間に関してはまったくのルーズである。 結局、慌ただしく列車で往復し、神木をちらっと見ただけで終わってしまった。
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![]() ▲ 神木站にて(1996.5.1) 後方の枯れ木が「神木」
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● 眠月線 次は9時発の眠月線。また站で時間をつぶす。 今度の列車は客車4両編成にディーゼル機関車の推進運転。実は眠月線ではシェイ・ロコと呼ばれる蒸気機関車が走っているとのことで期待をしていたが、ディーゼルでちょっと残念。 乗車率70%位で列車は出発。沼平站を過ぎたところで祝山線と別れ眠月線に入る。この眠月線は日本時代に敷設された路線で、かつては木材輸送の専用線であったが、1983年に観光路線になり現在に至っている。「眠月」の地名はこの鉄道の設計者である東京帝大の琴山博士が調査の為この地を訪れた際、あまりにもこの地の風景が幽美で感動のあまり夜も眠れなかった、という故事から命名されている。 約10kmの行程であるが、確かに車窓の景色は雄大で、雨上がりのしっとりとした眺めは最高である。 さて先頭車両の最前部に乗り込んだ我々であるが、そばには車長と知り合いらしきおじさんが乗務員席でビデオを構えている。そのうちこのおじさん、我々に拙い日本語で話し掛けてきてくれた。このおじさんのお陰で我々日本人鉄チャン3名と車長、そしてそのおじさんでワイワイやりながら楽しく車内を過ごすことが出来た。 列車は途中站は全て通過する。眠月站も駅舎はあるが周りには民家などあるわけなく、草むらにひっそりとたたずんでいた。そして眠月線の終点、石猴站に到着。「石猴」とは「石の猿」の意らしい。実はこの站のすぐ横に巨大な石がありこれが猿そっくり。これも有名な観光ポイントである。また車内でおじさんに「終点にヒトハランが咲いててきれいだよ」と教えられて何のこっちゃと思っていたら、站の先に伸びた線路沿いに一葉ランの群生地があった。 線路は更に先へ伸びていたが、周遊区域外は鉄網で閉鎖され通れなくなっている。この地区はかつて入山許可証が必要な保護区で、やはり今も制限が残っているのだろう。 站周辺には周遊コースがあるので歩いてみる。急な坂道を登ってバテてしまったが、山の頂上から見える景色は最高であった。 站に戻ってうろついていると先程の車長がにこにこして近づいてきた。そして煙草を取り出して吸わないか?との仕草。一緒に歩いていた彼は「No smoking」と言って断ったが、折角の車長の好意を無駄にしたくないので私は頂いた。煙草に火をつけてもらって「謝謝」とお礼を言うと車長は満足そうであった。しかしこの煙草、ハイライト並みにきつかった。 約1時間の後に列車は阿里山站を目指して発車。この眠月線にはあちこちに分岐が残っており、かつての林業が盛んだった頃を偲ばせる。なお現在は運材列車は廃止されているらしい。
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● 阿里山より嘉義へ 阿里山の観光も鉄道も全て済み、午後の嘉義行阿里山號の切符も取れ、出発まで時間があるので鉄チャン2人組と昼食を取る。食堂のメニューには英語も併記されていたので店員とのやり取りは英語で行った。 この鉄チャン、実は日本大学の鉄道研出身で、先輩・後輩で連れ立って1週間の予定で台灣鉄道旅行をしているとのこと。うち後輩の方は入間市役所に勤めているそうだ。 さて昼食後は土産物屋を見て歩く。そのある店の中から日本の演歌が流れている。覗いてみると老人がマイク片手にカラオケの練習をしている。なんとも不思議な光景である。なおこの商店街に勤め先の富士電機製のジュース自動販売機がありちょっと驚いた。 そしてようやく帰りの列車の発車となる。乗車率はほぼ100%。昨日の列車と同じ顔が多い。今朝早起きしたので列車内では熟睡。目が覚めるとかなり下界まで降りてきていた。車内から站の写真を撮ったりして夕方16:50頃、終点嘉義へ到着。 これで無事、阿里山森林鐵路の旅が終わった。台灣の鉄道で最も興味深い反面、まる2日はこれで潰れてしまう日程的にネックになる路線でもある。みなさんが台灣へ行かれる場合は是非日程を詰め余裕を持って乗って頂きたいと思う。
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● 嘉義にて 阿里山で一緒だった2人組は高雄で宿をとっているので嘉義の站で別れる。で私の方は台中まで行こうかと思ったが疲れているので今日は嘉義に泊まることにする。 站前にガイドにも載っている「白宮大飯店」があるのでそちらへ突撃。ロビーは薄暗く、カウンターにいるオヤジは長髪で怪しげ。このオヤジ英語もアウト。そこで身振り手振りで商談。640元でシングルが取れた。部屋はかなり広く奇麗。これはかなりお得であった。 なおこの宿でもオヤジに女の子を勧められた。地方の中級ホテルではよくあることと言うが、もし日本人と見て話しを持ってくるのであれば情けないことである。 夜は街に繰り出し、適当に見て食って宿へ戻った。
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