| 幌萌鐵道管理局 '96 臺灣鐵路紀行 | |
|
Part.3
4/29 蘇澳→高雄
| |
|
● 宜蘭へ 蘇澳655発 宜蘭733着 412 PC(DL) 26元 この日は一気に西海岸の高雄まで行く強行軍。その為、自強号を使うこととする。しかし花蓮方面の自強号は蘇澳新站は通過する為、一度北に戻ることとする。時刻表をみて宜蘭から自強号に乗ることにした。そこで朝6時起きで蘇澳6:55発台北行普通列車に乗ることに決定。6時半にチェックアウトし站へ向かう。駅窓口で宜蘭までの車票を購入。この時、窓口横に硬券が落ちていたので頂戴してしまった。 朝日のまぶしいホームで列車の写真を撮り、客車に乗り込む。列車の横には四角いタンク型の貨車が並んで留まっている。その横には「臺灣水泥公司」と会社名が入っている。一体「水泥」とはなんぞや、と考えたが、どうもこれはセメントのことらしい。後で分かった事だが蘇澳はセメント工業で栄える街で、実は線路も更に先の蘇澳港まで伸びている。
|
|
|
列車は定刻に発車。地方の朝の車内は日本と同様に高校生が主である。台灣も高校生は男女とも制服を着ており、これまた日本と同じ光景である。しかし日本より厳しい受験の為であろうか、車内で黙々と勉強をしている者が大部分である。日本でよく見かけるバカ高校生と比べると将来は台灣の方が数段優秀な頭脳で日本を追い越すのは間違いない。 途中駅からどんどん学生が増えてきて車内はほぼ満員状態へ。そんな中、ホームで軍隊風に立ち、乗り降りを監視する学生を見かけた。台灣の高校にはそんな係でもあるのだろうか?
|
![]() ▲ 蘇澳から宜蘭までの普通列車の中にて 座席はビニール張りで天井には扇風機 (1996.4.29)
|
|
車内は羅東でかなり空いた。列車は畑や田圃の中を淡々と走り続け、やがて下車駅の宜蘭へ到着。
| |
|
● 自強号で花蓮ヘ 宜蘭820発 花蓮937着 自強1051 DC 225元 宜蘭站では早速窓口で自強号の車票を買う。無事座席が取れた。出てきた切符は日本のマルスの券とほぼ同サイズ。やはり漢字で書いているのは日本人には大助かりである。 待合室で昨晩仕入れた食料で朝食に取る。その後、時間もあることから水を求めて街へ繰り出す。 站前の光復路を進むとコンビニを発見し店内に入る。すると店内に聞き覚えのある曲が流れてきた。この台灣で千昌夫が「しらかば〜」ときたもんだ。しかし昨日から一言も日本語を聴きも話しもしていない自分にとって、これは涙が出るほど嬉しく、店内でこぶしまわして歌いたくなったくらいだ。 宜蘭站に戻り、やがて改札が始まりホームに出る。自強號を待っていると向かいのホームから客車鈍行が発車して行った。列車の後ろ姿と周りの景色が何となく大陸的に感じられた。ちょっと北海道に通じるものがある。もっとも今の北海道ではこんな列車は消滅して久しいが。 そして自強號到着し乗り込む。座席は車両中ほどの窓側だった。台灣に来て初めての超優等列車である。車内は日本の「特急」レベル。各車両に飲料水、茶のサービスがある。また列車には真っ赤な制服を着た女性乗務員がおり、車内販売から車内の清掃まで担当している様だ。 さて列車は南に進む。先ほど鈍行で来た線路を引き返す格好になる。やがて蘇澳新站を通過し、北廻線に入る。日本時代は宜蘭線が蘇澳まで開通していたが、花蓮方面へは線路が無かった。蘇澳−花蓮間は海岸線に山が迫り出しており、昔も今も交通の難所で道路の方はかなり危ないという話しだ。北廻線は1979年に6年の歳月をかけて完成し、台灣東部の発展に大いに寄与しているとのこと。 地形からこの線区はトンネルが大部分を占め、長いものでは7.7kmもある。車窓からは時折太平洋が見えるが、その景色は良い。途中、南澳溪という川を渡るが、川幅が非常に広いため橋梁はなかなかスケールの大きいものであった。 険しい区間を過ぎるとまもなく花蓮である。現在の花蓮站は陸地側に移転したものとの情報を得ていたが、花蓮の街に入る手前に海岸側へ別れていく旧線の築堤が残っていた。台灣でも廃線は健在(?)である。
| |
|
●花蓮から臺東へ 花蓮1010発 台東1252着 自強1053 DC 371元
| |
|
花蓮は日本時代から栄える港町で台灣の原住民・アミ族が多く住む街である。また台灣観光の大目玉である太魯閣の玄関口で、站の改札を出ると客引きのタクシーの運チャンたちが「タロコ」と言いながら寄ってくる。適当にあしらって30分後の台東行の自強號の車票を買う。これも無事に入手できた。 そして站前をぶらつく。街の中心は海岸側の旧站周辺なので、新站前はさっぱりしていて大きな公園もある。ただ観光地の宿命か、大きなみやげ物センターがあり客引きがやかましかった。
|
![]() ▲ 大きな站には電光掲示がある 花連站改札口にて(1996.4.29)
|
|
さて落ち着く暇もなく次の自強號に乗り込み台東へ向かう。花蓮から台東までの花東線は大正時代に軽便鉄道として開通したもので、1982年に762mmから1,067mmに改軌された経歴を持つ。 この花東線は大部分が単線でなんとタブレットが現役。となると日本では腕木式信号機が相場であるがこの台東線では、というと、これまた期待を裏切らず見事に腕木式である。それも日本と姿格好同じ。はっきり言って涙ものである。 沿線には途中特に大きな街もなく景色ものどかで、自強號なんかよりは鈍行で旅する方が数段お勧めである。 ところで車内では睡魔に襲われ、せっかく台灣に来ているのに不覚にも眠りに入ってしまった。30分ほど熟睡したであろうか、耳から日本語が聴こえてきた。「ベントゥ〜、ベントゥ〜」。はっとして飛び起きる。時間はほぼ12時、池上站に到着したところであった。窓からホームを見ると「駅弁売り」が「ベントゥ〜」と叫びながら駅弁を売り歩いている。それも日本と同じ弁当持ちを抱えながら。 実は「便當」(ベントウ)は台灣に残った日本語のひとつ。もともと駅弁は日本から持ち込まれた文化で、言葉もそのまま定着したらしい。 自強號の車内は台東に近づくにつれ空席が目立ってきた。そこで気になることがひとつ。車内のゴミである。台灣人はまぁよく食う。車内でも物を食っている人が多い。しかしそのゴミは車内に捨てっぱなし。座席後部のネットに入ったままだったり、床に弁当の空箱が置きっぱなしだったり。各座席には「芟苑ワ」なるゴミ袋が備え付けられているが効果薄の様である。 途中站で気動車とすれ違う。この車両、なんか凄い年期が入っており平溪線で乗ったものとは型式が違う。顔は日本の12系客車に似ている。後ほどわかったが、この車両は1960年代に製造された台東線専用の気動車で、改軌後も改造されて使用され続けている。見た目より古く感じるのはメンテが悪い為であろうか。 やがて列車は台東站へ到着。片田舎の終着駅、ってな感じで非常にのんびりしている。
| |
|
●臺東から南廻線へ
台東 1350発 台東新站 1358着 自強92F DC 改札を出て站前へ。台東縣の中心都市であるが、なんとものんびりしており、いかにも南国って雰囲気。店もちょろっとしかない。市街地は站からちょっと離れているらしい。ここの人々の顔は今まで見てきた人達と異なりポリネシア系の人が多い。元々は原住民の集落が発祥で、大正時代に「台東」へ改名され今に至っている。 この台東、漢字表記は「臺東」の方が多く見受けられ、駅舎や車票はこの表記である。しかし時刻表や駅名標は「台東」で表しており、ここら辺の使い分けは我々日本人には難しいところである。
| |
![]() ▲ 自強號の車内 (1996.4.29)
|
![]() ▲ 自強號の車両 台東站にて(1996.4.29) 日本製と一目で判る顔立ち
|
|
さて本日は西海岸の高雄まで行く予定なので、南廻線に乗る事にする。時刻表を見ると次の高雄方面の列車は台東新站始発のB光號で、台東からは接続列車の自強號(たった一駅しかない台東新站行!)に乗らなくてはならない。そこで窓口で車票を購入。2つの列車にまたがるので「異級票」であるが「臺東→屏東」と一つの列車の表記になっている。またスタンプで「92F接92 台東站 13:50開」と押され、またこの自強號は「新自強號」と表記されていた。 ここで混乱。列車番号を見ると明らかに接続列車であるが、台東新站で乗換が必要か、それともそのまま列車名が変わるだけで車両はそのまま行くのか? 注意書きも何もないので不安なまま列車に乗り込む。まぁ、説明書きがあったとしても中国語ではわからなかったろうが。 すると新自強號は行先表示も「往台東」のまま、座席も転換ぜすゴミもそのまま。いかにも回送列車です、って感じ。さらに車票に書かれた号車は存在しない。どうも台東新站で乗換のようである。 台東新站に入ってくると向かい側にB光號の車両が停まっており、そちらへ移る。車内はすぐに満員に。座席は進行方向右側、つまり山側であった。 さて列車は発車し南廻線の旅が始まる。南廻線は台東新站−知本間が1985年、知本−大麻里が1988年が部分開業し、全線開業は1991年である。これにより「台灣環島鐵路」が完成した訳で、おかげで自強號を使うと台北発で台灣日帰り一周も可能である。 途中、温泉で有名な知本も通るが客の乗り降りは少ない。やがて大麻里を過ぎると列車左手に太平洋が広がる。この海のきれいなこと。生まれて初めてナマで、透き通るような「青い海」を見た。これは感激である。座席の位置が海側でなくて残念である。 一方山側の景色であるが、これもまた良い。山肌には一面にソテツか椰子の木かバナナか区別がつかないけど、いかにも南方系の木々が生い茂っており、不思議な気分である。 この区間は是非鈍行で旅したいところであるが、もともと南廻線は列車本数が少なく、普通列車は1日2往復(朝と夕)のみ。今度来たときは十分に日程を練って乗りたいと思う。 大武を過ぎて太平洋に別れを告げると列車は山岳地帯に入り東から西へ横断する。従ってトンネルが多い。そうなるとまた眠気が襲ってくるわけで、再び眠りについてしまった。 南廻線の終点である枋寮手前で目が覚め、列車は屏東線に入る。周りの景色は一転して畑や水田、そしてバナナ園や椰子の木林、そして大小の集落の中を走る。畑や水田にはなにやらたくさんカラフルな旗が立っている。よく見ると人の名前が書いている。実はこれ、先日行われた台灣総統選挙のなごりで、自分の支持者の旗を立てているのである。TVでも観ていて知っていたが激しい選挙戦だったことがわかる。
| |
|
途中かつて東港線が分岐していた鎮安を過ぎ、やがて南州へ。この辺りになると762mmの専用線が多数伸びており、南州站付近は側線にトロッコみたいな貨車も停まっている。そのうち工場の正門が見えてきた。そこには「台糖成立50周年紀念」の看板と飾り付け。そう、これらは台糖の専用線なのである。おまけに昨晩TVで見たトロッコ列車は50周年紀念列車ということもわかった。 地図で見ると台糖の専用線は台灣の西南部に縦横無尽に走っている。今後探ってみるのも面白いかもしれない。 やがて列車は屏東へ到着。列車は高雄まで行くが、今日のゴールはもう目前。ここは急がず鈍行の旅としよう。
|
![]() ▲ 屏東站駅舎(1996.4.29) いかにも南国、って感じの站前
|
|
●屏東線で高雄まで 屏東1707発 高雄1736 358 PC(DL) 23元 屏東站前は人人人・・・。小さい店もゴチャゴチャとある。ちょうど学生の下校時間に重なり、窓口で車票を買う長い列に並ぶ。ここの駅員、なかなか豪快で硬券をダッチングマシーンに通して投げてよこす。でもこの仕草に味がありなかなか気に入った。 改札を通りホームへ向かうと既に客車は入線済。しかし機関車はついておらずカメラを構えて待っているとディーゼル機関車が入ってきて連結。この区間は電化しているがディーゼル機関車が第一線で活躍しているようだ。 客車内はロングシート。発車間際に乗客が増え立ち客が多くなる。そして約20kmの道のりを列車は走る。 さて、この客車はなんと自動ドア。台灣で初めてお目に掛かった。しかしドアが閉まるのは列車が動き始めてややしばらくしてからで、閉まる速さも随分とのんびりしている。 車内では学生やおばさん達がわいわいやっている、日本と同じ光景である。特に女子高生・國中生は台灣でも蜂の巣をつついたような賑やかさ。日本と違うのは言葉とオンボロ車両くらいである。台灣の通勤通学列車を経験しつつ台灣第二の都市、高雄へ到着。
| |
|
●高雄の夜 立派な駅舎を出てまずは宿探し。「地球の歩き方」を見て値段が安く日本語の出来るスタッフがいると書いている「金山大飯店」へ向かう。そこそこの建物。フロントに行くと確かに日本語の話せる人がいてスムーズに手続き完了。閑散期なのか「今はディスカウントして600元です」とのこと。確かに安い。 キーを受け取り階を上がるとそこにもカウンターがあり、おばちゃんがいる。「いらっしゃい。部屋はこっちだよ。」 おおぅ、これぞ本物の日本語だ。もう60歳すぎの人らしいので日本語は完璧なのだろう。しかし昨日からまともな日本語の会話をしていない私にとってなんともありがたい日本語である。 まず部屋の説明を受ける。まぁまぁきれい。これで600元は超お得である。そして「台灣は初めて?学生かい?いつまでいるの?どこに行くんだい?」ってな感じで雑談。最後に「何か困った事があったら言いなさいね」と言って部屋を出ていく、と思いきやスタスタと戻ってきて小声で「可愛い娘いるけどどう?」。笑って断ったが、台灣の地方都市のビジネスホテルではよくあることらしいので皆様ご注意を。 さて部屋で落ち着いてから夜の街を徘徊する。とりあえず有名な六合夜市へ行ってみる。ここはかなり大規模で多くの屋台が連なっている。特に魚介類が多い。しかし見た目では衛生状態が良いとは言えず、免疫の少ない日本人は気をつけた方が無難であろう。 夜市の帰りに本屋へ寄った。その漫画のコーナーへ行ってびっくり。日本の漫画オンパレード。話しには聞いていたが実際に見てみると圧倒される。荷物が重くなるのでここは買うのを我慢し、宿へ戻る。途中セブンイレブンに立ち寄り夜食として「包」、つまり中華饅を買っていく。台灣のセブンイレブンはこの「包」が充実されており、十数種類もある。 また実家に連絡を入れるために電話をかけることにする。台灣では大きな車站やバスターミナル、電信局等に「ISD」と表示された国際直通公衆電話があり、テレホンカードでかけられる。が、どこでテレホンカードが売っているのかわからない。高雄站の「公用電話」(公衆電話のこと)の並びで探してみると貼り紙が。その貼り紙からどうも站の売店で売っているらしいので、店員に聞いてみるとありました。あとは楽勝で電話がかけられた。なお台灣のテレホンカードは分厚く、入れる方向も日本と異なる。 部屋ではたまった洗い物を洗濯をしてドライヤで乾かす(必需品ですな)。台灣の商用電圧は110Vなので日本の大抵の電気製品は問題なく動作する。 明日は嘉義方面へ行って阿里山森林鐵路の手配でもしておこうと考え、朝7時半に目覚ましをセットして寝た。
| |