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 幌萌鐵道管理局   '96 臺灣鐵路紀行
 
Part.2   4/28 台北→蘇澳

● 基隆へ出発

台北803発 基隆855着 平快1506 31元

 さて前置きが異様に長かったが、今回のメインテーマである台灣鉄道の旅はこの日から始まる。今回は台灣を時計回りに攻めることとし、この日は蘇澳か花蓮で宿を取ることとした。

 朝7時半、中國大飯店を出発し台北車站へ。まずは車票(乗車券)を買わねばならない。近距離の自動券売機もあったがよくシステムが判らなかったので平快・普通車専用の窓口に並び、"Excuse me"と言いながら「台北→基隆 平快×1」と書いた紙を差し出すと即座に発券。緑色の軟券で営団地下鉄みたいである。なお台灣の切符は日本とサイズは同じだが印字の向きが短辺方向で異なる。

 さて現在の台北站の月台(ホーム)は地下にあるのでそちらへ向かい改札で鋏を入れてもらう。コンコースには売店があり、店員に「台灣旅客列車時刻手冊」と紙に書いて見せて、ようやく時刻表を手に入れた(25元)。

 記念すべき最初の列車は「平快車」、日本で言うところの快速に相当する(料金は普通と同じ)。  乗車ホームへ向かうと、そこには水色で彩られたシンプルな外観の客車が。「こいつは凄い列車だ!」と直感し、血が騒ぐ。そこには日本では既に楽しめない旧型客車に匹敵する車輌が止まっている。久々に興奮させられた。

 列車に乗り込むと、ドアは当然開きっぱなし。座席はボックスではなくキハ80系みたいに二席一体化された緑色のビニール張りシートであった。車内ははっきり言って汚い。細部までは清掃が行き届いていないようだ。

 列車は間もなく発車。列車は電機に引かれているが、客車独特の雰囲気は十二分に堪能できる。

▲ 台灣で初めて乗った列車・・・基隆行平快車
  南港站にて(1996.4.28)

 台北の次の松山站手前までは地下を走る。地上に出て松山を経て南港へ。ここで少々停車。早速ホームに降り立つ。台北は地下ホームで全編成が見渡せなかったが、ここで見ると9両編成と日本に比べれば長大である。車輌ドア横の列車名・行先表示器には「快車」「往基隆」と出ている。客車側面の中央部には台灣鐵路管理局のマークと形式車番表示が出ており、日本の私鉄車輌みたいな雰囲気を出している。また駅ホームの雰囲気も日本とほぼ同じ。本当に日本国外に来たのだろうか?などと思ってしまった。(しかし後にやはり日本でないことを痛感することになる)

 列車は順調に進み宜蘭線との分岐駅の八堵を経て終点、基隆へ到着。途中貨物線があるようだ。


● 基隆にて

 基隆に到着。人々に混じって出口の改札を出る。台灣の改札は入口が駅舎内、出口は駅舎横との相場になっている様だ。駅前は大きなロータリーになっており、その中心に雨ガッパを着た蒋介石の銅像が建っている。この基隆は非常に雨の多い土地らしいがこの日はカンカン照りであった。駅前をとりあえず一周し駅舎の写真を撮る。駅舎には中華民國の国旗が掲げられている(台灣の駅舎には全て国旗が掲揚されている)。

 駅前には屋台車が2、3台と食物屋が数軒ある。実は朝食はまだなので、何か食べようかと思ったが、屋台から漂ってくる腐臭と油っこい食物に体は本能的に拒絶反応を示した。そこでサンドイッチやパン類を多めに仕入れて朝食と予備にした。

 駅舎内には出札口の他に服務台(案内所)や餐旅販賣台(いわゆるキヨスク)、また日本ではお目に掛かれなくなった荷物窓口、そして國軍の詰所がある。また面白いものとして「自助郵局」なる郵便局の自販機版(手紙を投函して料金を自動に徴収)を発見した。


● 瑞芳へ

基隆955発  八堵1000着 復興 133 PC(EL)
八堵1035発 瑞芳1046着 呂光 42 PC(DL) 24元

 さてこの後、平溪線に乗るためにその乗換駅である宜蘭線瑞芳站へ向かうこととした。そこで基隆から台北方面の復興号に乗り、八堵でB光号へ乗り換えることとした。瑞芳までの列車名と区間を紙に書き窓口に差し出す。そこで窓口氏が紙に「無座位」と書きながら「No seat」と返答。台灣の優等列車(自強・呂光・復興)は全席指定であるが、座席が売り切れても立席で乗車が可能である。そこで「無座位」の車票が発行される。列車が2つにまたがると車票は「異級票」という表記になる。なお車票は原則として乗車駅でしか発売されないが、接続列車は連続で購入可能の様である。

 改札は発車5〜10分前にならないと始まらない。改札前は多くの乗客の列になった。私はどうせ次の八堵で乗換だから、と改札が始まってから列にくっつき第1月台の列車へ向かった。

 復興号は先ほどの平快車と同じ塗装であるが、冷房完備で窓は大きめの固定のものであった。で、先頭の電気機関車を見に行く。オレンジ色の電機はいかにも「アメリカ」ってな感じの顔をしている。後ほど本で調べたところでは、これは「由美國GE生産的E400型電力車」とのこと(中国語では米国を「美國」と書く)。

 この横のホームは「宜蘭線月台」となっていたが、これを見て驚く。行き止まりの線路の先にある車止め、そして転轍器が日本と全く同じもの。おまけに「安全第一」なんて書いてある。なんか不思議なものを見たような気がした。

 発車時間が近づき列車に乗り込む。次の八堵で乗換なのでデッキに居座ることにする。そして列車は動き出す。ドアは開いたままで、そこから身を乗り出して沿線を見る。こんな経験は和田岬線以来だ。なんとものんびりした街の裏側を抜け、5分ほどで八堵へ到着。

 八堵では台北方面から来る台東行のB光号に乗るために宜蘭線のホームへ向かう。すると線路向のホームに台北方面の普通列車が停まっている。これを見てまた興奮してしまった。濃青の車体に白線の引いた、なんとも味わいのある客車。その先頭にはまたいかにもアメリカ的なディーゼル機関車。編成の最後には荷物車がついており、一般客も乗っている。間もなくこの列車も出発。カメラを構えていると荷物車に乗っている若い女の子達が列車後部からこちらに手を振ってくれた。なんともいい光景である。

 さて八堵では約30分の待ち時間があるので途中下車することに。しかし言葉がわからんので、どうしたらよいのか分からない。でもどうしようもないので改札へ行き、英語で外へ出たいと告げる。この駅員、どう見ても英語の分かる世代で無いようだったが切符をみて「出ていい」との仕草。意外にあっさりとクリアした。

 駅前はさほど大きくなく、特に見るべきものはない。ただ駅前はスクーターが多数駐車している。台灣全土でスクーターは人々の足になっているが、この多さはやはり凄い。

 この日は快晴で非常に暑く、喉が異様に乾いた。台灣ではジュース類の自販機は一部を除いてほとんど見かけない。そこで駅売店でミネラル・ウォータを仕入れる。なお台灣では水道水は飲めないのでミネラル・ウォーターは必需品であり売店では必ず売っているし、我々旅行者は重くてもこれを持って歩くのが一番である。

 再び改札をくぐる。そこに大きなタイフォンが。貨車を引き連れたディーゼル機関車が轟音を響かせて駅を通過。この貨車がまた興奮もの。姿格好が日本とまたまたそっくり。おまけに編成は日本の昔の写真で見たことのあるよう何でもあり、ってな感じ。これを見ただけで余は満足じゃ、である。

 先ほどの宜蘭線のホームへ向かうとディーゼル機関車が電源車を従えて停まっている。宜蘭線は非電化の為、今度乗るB光号はここで機関車交換を行うのである。


▲ 八堵からの呂光號用ディーゼル機関車
いかにも「アメリカ」的な顔
八堵站にて(1996.4.28)

 やがて呂光号は到着。そこでまたデッキへ居座ることに。ちょっと長めの停車の後、発車。またドアを開けたまま車景を楽しんだ。列車は新緑の山間を進み、八堵から約10分で瑞芳へ到着。

 瑞芳の改札はホーム中央階段部にあり(薩摩松元みたい)、大勢の人が下車したのでごった返していた。


● 平溪線

瑞芳1105発 菁桐1150着 柴 3213 DC 22元
菁桐1354発 侯銅1435着 柴 3218 DC 17元

 とりあえず駅舎の写真を撮ろう、と駅前をうろつく。台灣へ行っても普段の行動と変わり無い。駅前は多くの商店が立ち並び、屋台も数軒あった。なお瑞芳からはかつて深澳線という支線が海岸側へ走っていたが現在では廃止された。

 平溪線の車票を買いに窓口へ。紙に区間を書いて差し出すと軟券が出てきた。そして窓口氏、親切にも「Platform nunber 2」と英語で教えてくれた。

 ホームへ向かうと平溪線のディーゼルカー2両が入線しており、既に多くの人でいっぱいだった。さてこの車輌がまたいい。形式はDR2400。塗装は濃青で白線入りで、キハ20系みたいな顔つきである。

 日本に帰ってきて分かったことだが、この車輌は非常に歴史がある。DR2400とその兄弟形式のDR2300は昭和10年(1935年)に川崎重工と日本車輌で製造されたガソリンカーで、国鉄キハ4200と同系列である。戦後、中華民國に接収され、GA2400とGA2300と形式が定められ、ディーゼル化そして車体更新を経て現在に至っている。

 さて列車は超混み混みで発車。実は平溪線は台灣でも人気のあるローカル線で、沿線にある「十分大瀑布」(滝)やハイキングへ行く観光客で賑わうとのこと。で、今日は運が悪く日曜日。混んでいて当たり前である。

 正確には平溪線は瑞芳から2つ先の三貂嶺が始点で、それまでは宜蘭線の上を走る。宜蘭線の侯銅を過ぎると一気に自然が深まり、分岐駅の三貂嶺は山間の交換駅でのどかな雰囲気を出している。平溪線はタブレットを用いている様で、運転士が受け取り発車。

 平溪線は大正10年に台陽砿業(株)の石炭輸送専用線として開通、昭和4年に総督府鐵道部に買収され戦後、台鐵に引き継がれ現在に至っている。

 列車は自然の中を快調に進む。やがて大華と十分の中間付近に大勢の人影。ここが十分大瀑布の入口で、線路沿いにはなんと屋台まで出ている。人々は十分の駅から線路上を歩いて滝を見に行くのである。なんとも日本では考えられない。列車は汽笛を鳴らしながら十分站着。大勢の人が下車し、車内はかなり空いた。ハイキング客は次第に下車して行き、終点、菁桐站に到着。改札を出る。折り返し列車には乗らず一本遅らせることにし、列車を見送り写真を撮る。

 駅構内にはかつての石炭積み出し跡を示すホッパーが山手に残る。次の汽車まで約2時間あるので小道を通りホッパー上部へ行ってみた。そこには煉瓦造りの廃墟が立ち並んでいた。また線路の終端にも行ってみた。

 駅前には民家と商店が立ち並んでおり、みんなのんびりと暮らしているのがわかる。集落の外れに炭鉱夫をモデルとした像が建っていたが、何を意味するのか詳しくは不明である。


▲ ホッパーの跡が残る平溪線菁桐站(1996.4.28)

 で駅に戻る。菁桐站のこじんまりした駅舎の窓口になんとダッチングマシーンを発見。そう、台灣で初めて硬券にお目にかかることになった。紙に「菁桐→侯銅×1、菁桐→大華×1(記念)」と書いて駅員に見せる。すぐに駅員にも分かったらしく、硬券2枚を取り出し日付を入れて、おまけに裏面にスタンプまで押してくれた。スタンプには「鐵路之旅−小站巡禮紀念章」とあった。どうも日本語とは「紀念」の漢字の使い方が違うらしい。

 駅舎内には昔の蒸気機関車の写真も飾っている。CK120型と書いているが、日本時代のC12である。  さてかなり時間を持て余したが、ホームでボケーっとして過ごし、帰りの列車がやってきた。先ほどと同じ車輌である。

 列車はガラガラの状態で発車。しかしやはり十分から観光客が大勢乗ってきて席はすぐに埋まり、立席客が出ている。

 帰りは席に着けたため窓から顔を出し、列車の終点、侯銅まで行った。隣には若い兄ちゃんがいたが構わず車内から写真を撮った。旅の恥はかき捨て、である。


● 蘇澳へ

侯銅1524発 蘇澳1750着 413 PC(DL) 86元

 侯銅では多くの人が接続の台北方面のB光号に乗換。駅で改札を出たのはほんの数人であった。  侯銅もかつては石炭で賑わったようだが今ではすっかり衰退し、駅横には大きな廃工場があった。街も小さく、駅前に小さな食い物屋がある位である。

 さて本日の宿をどこで取るか問題である。予約なしで宿へ突撃する為、時間的に遅くない方が好ましい。そこで花蓮まで行くのは強行軍となるので、蘇澳で泊まることにする。

 そこで列車は鈍行の蘇澳行に決定。80.2公里(km)の行程である。窓口で例の如く区間を書いた紙を提示し車票を購入。この駅も硬券で優等列車も停車することから硬券の「指定席券」もあるのだろうが、言葉が分からないので面倒なことは避ける。

 早めに改札をくぐりホームへ向かう。ベンチでのんびり過ごす。途中、重厚なディーゼルの音が聴こえ、駅を通過して行った。台鐵の誇る「自強號」である。ステンレス製の車体で、これもキハ20系の顔をしている。最高速度110km/hで、東急と日立製である。

 やがて蘇澳行鈍行がディーゼル機関車に引かれてやって来た。台灣の客車鈍行は何度見ても飽きない。列車が停車すると立っていたのが荷物車の位置。こんなとこから乗るのは初体験。喜び勇んで乗り込む。

 車内は板敷きで特に何にもない。が、なんか凄い。しかしこの先長いので一般車へ移る。するとロングシート車であった。台灣の客車にはロングシートもあったのか、と妙に感心し席に着いた。窓もドアも開けっ放し。しかし車内では高校生は日本と同様に必死に勉強している光景は違和感を感じた。

 列車は三貂嶺を過ぎたところで長いトンネルに突入。するとディーゼル機関車の排気が車内に充満。辺りは真っ白、息もままならない状況。でも車内の人々は平然としている。それにしてもこの排気は酷い。

 山岳地帯を抜けると辺りは田園に。列車は淡々と進み、やがて太平洋に沿って走る。景色は日本と似ており、小さな駅には日本時代の駅舎や倉庫が数多く残っており、何か懐かしさを感じる。

 途中交換と追い抜きで龜山と頭城で長時間停車があった。やがて花蓮方面との分岐駅の蘇澳新站を経て蘇澳に到着。蘇澳は港町で海産物で有名だそうだ。


▲ 宜蘭線頭城站にて  呂光號の追い越し (1996.4.28)


● 蘇澳の夜

 時間は夕方6時。空も薄暗くなってきた。さて本日の宿を決めねばならぬ。「地球の歩き方」を見て「日本語がとても達者なおばさんがいる」と書いている金華大旅社へ突撃。ところが窓口のおばさんは中国語ONLY。結局身振り手振りと筆談で話しがまとまり、住所と名前を用紙に書き込む。この紙から東京と浦安の人も泊まっている様だ。なお料金は700元。部屋は最上階の3階ではっきり言ってボロ。でも清掃は行き届いている。TVはケーブル。風呂はユニットバスだが湯船はこれまた初めて見るタイプで、すり鉢状で底が浅く、シャワーを使うにも中に立つのが難しい。

 夕飯を取ろうと街に出たが、なんか駅前通の屋台は入りづらい雰囲気。そこに日本にもよくあるタイプのパン屋を発見、早速入る。並んでいるパンはやはり日本とはちょっと趣が異なる。数個仕入れ、またコンビニで食物・飲物を買い宿へ戻る。

 部屋ではTVを見ながらくつろぎ、明日に備え早めに眠りについた。なおTVのニュースで台灣糖業(台糖)のトロッコ列車が映っていたが、言葉がさっぱりで情報が得られなかった(しかし次の日わかることになる)。


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