| 幌萌鐵道管理局 '96 臺灣鐵路紀行 | |
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Part.1
4/27 臺灣へ
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● なして「臺灣」か? 今回の企画を思いついたのは'95年末頃である。社会人にもなったし、ちょっと海外も行ってみたいなぁ、なんて思いついたのが台湾。 なして台湾か、というと、個人的に前々から旧日本植民地へ行ってみたかったこと、現在日本と国交の無い「中華民國」を体験したかったこと、そして日本統治時代にその大部分が整備された鉄道に非常に興味を抱いていたからである(これが一番の理由)。 そんなことで会社が長期連休になるGWに行くぞ!と決心したところに台湾総統選挙牽制の中国によるミサイル演習が。今の御時勢、武力侵攻は無いとは思ったが、中国の事だから何するかわかったもんじゃない。とりあえず総統選挙が終わるまで様子見とした。
結局選挙も無事、李登輝総統当選で決着し、その後中国も動きを止めたことから、3月末に台湾鉄道旅行に向け各種準備に入った。 | |
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● 前準備 普通の国内旅行であれば、時刻表とお金さえあればどうにでもなるが(と言ってもそれは我々鐵研関係者みたいな特殊な部類の人だけだが)、海外旅行となると面倒臭い手続きがある。
パスポート
航空券 ちなみに今回はあくまでも台湾にこだわったため、航空会社の選択肢は中華航空(CI)か日本アジア航空(EG)となったが、ここは楽な羽田発の中華航空を選んだ。中華航空は名古屋空港で墜落したのでちょっと恐かったけど。
なお予約が取れた便は、
宿泊 言葉が通じないと困るかもしれないので最後まで不安だった。(今考えると、全く心配する必要が無かった
その他 しかし台湾の時刻表と詳しい地図は日本国内ではほぼ入手困難であるので、旅程の時間配分は立てられなかった。
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● 台灣の鉄道前知識 本編の前に台灣の鉄道について軽く触れておく。 まず台灣では「鉄道」を「鐵路」と書き表す。「鐵道」の表記も存在するが、街中では見掛けなかった。また日本語で言う「汽車」は中国語では「火車」と呼ぶ(「汽車」は自動車の意)。また「駅」は「站」となる。特に鉄道駅は「火車站」もしくは「車站」と表される。中国語における「站」は日本語よりも広い意味を持ちバスターミナルやガソリンスタンドにも「站」が用いられる。 現在、旅客を取り扱う鉄道は台灣鐵路管理局、阿里山森林鐵路、そして台北捷運の3つである。うち台灣鐵路管理局(以下、台鐵)はいわゆる台灣国鉄である(厳密には台灣省の管轄)。 台灣の鉄道の歴史は清朝時代の1887年(明治20年)に始まり、日本の台灣統治の始まる明治28年(1895年)には基隆−新竹が開通していた。その後、台灣総督府交通局のもと昭和初期までには現在の大半の線区が開業した。 戦後(台灣では「光復後」と呼ぶ)は中華民國に接収され、地形的に難所で未開通だった北廻線、更に近年南廻線が開業し、台灣を一周する「環島鐵路」が完成した。 近年は台鐵も日本国鉄と同様にローカル線の廃止が相次ぎ、現在では幹線以外では3支線のみとなってしまった。 列車の種類は、優等列車が「自強號」「呂光號」「復興號」の3種類(イメージ的には順に「特急」「急行」「準急」)で全車指定席である。しかし日本と異なり満席でも「無座位票」(立席券)が発売される為、希望の列車にはまず乗ることが出来る。なおこの3つの列車の切符は3日前から乗車駅で発売される。普通列車には快車(「快速」に相当)、普通、通勤電車がある。なお快車は「平快」と表記されることが多い。 切符は「車票」と表される。料金は日本と異なり、その列車種別と区間ごとに決められており、接続列車は通しで買うことも可能である。 料金は台灣の物価安もあってか非常に安く抑えられている。台北−高雄間375.6kmを自強號を用いた場合、854元(約3,420円)。一方、東京−松本間235.4kmの「あずさ」自由席利用では6,080円とその差は歴然としている。 しかし日本のような周遊券のシステムはないようで、今回の旅行では原則として乗車する列車ごとに切符を購入した。 列車は日本と同様に上下に分かれており、北方面が「上行」、南方面が「下行」となっている。 西部幹線は電化されているが客車列車がまだ主流で、現在台北地区の電車の増強が計画されている。 優等列車の「自強號」は西部幹線は電車、東部幹線は気動車で運転されている。「呂光號」「復興號」は全て客車である。 支線を走る気動車は列車番号の頭に「柴」がつく。これは中国語でディーゼルを「柴油」と書くことから来ているらしい。
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● 台灣へ出発 4月26日、金曜日。山ほど残った仕事に後ろ髪を引かれる思いで会社を定時で切り上げ、松本発最終の「あずさ」で東京へ向かい、翌日の出発に備える。 4月27日、土曜日。埼玉県の隠れアジトを午前10時頃出発。ちと早すぎたもんで12時前に東京モノレール羽田駅へ着いてしまった。 さて、ご存じであると思うが羽田空港の国際線ターミナルは既に取り壊された旧国内線ターミナルの横に残ったままである。新しくなった羽田駅を降りて地上に出てみると・・・、なんとそこには道路とだだっ広い空港の敷地があるだけ。かつての羽田駅とはかなり離れたところへ駅は移っており、国際線ターミナルへはバスかタクシーを使うしかないのである。ここは当然バスで向かう。バスの本数は少なく不便である。 国際線ターミナルに到着したのは正午頃。まだ2時間以上時間がある。カウンターでの受け付けは既に始まっていたので早速搭乗手続きをする。なお羽田の中華航空のカウンターは日本航空が業務代行している。今回の荷物はちょと大きめのリュック1つだけだったので機内持ち込みにした。座席は残念ながら通路側。係員の話しではやはりGWの為、満席とのこと。 狭いロビーへ戻ってきたがすることがなく、とりあえず周りを観察する。かつての日本の玄関であったこの「国際線ターミナル」は今では中華航空が発着するのみであるが、やはりかつての面影が残っており、古びてはいるが壁などは立派である。 離陸まで約1時間半となった辺りから出国手続きが始まった。出国カードに記入し、係員に搭乗券とパスポートを提出。「出国」のスタンプを押してもらっておわり。簡単なものである。なお羽田空港利用の際は空港施設使用料は不要である。
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出国ゲートの向こうには少し広めのロビーがあり免税店がある。更に進んで2階に搭乗口があり、しばらくしてからそちらへ向かう。 搭乗口の手前に身体チェックがある。これがたった1つのみ。何とも寂しい。ちなみにここのX線検査装置はフィルムには影響は無いとのこと。
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![]() ▲ 羽田空港国際線ターミナルより 中華航空017便 台北行 (1996.4.27)
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搭乗予定のCI017便はホノルル発で、羽田に立ち寄ってから台北へ向かう飛行機で、私が搭乗口へ着いた時、ちょうど飛行機も着いたところで、廊下の方で足留めを食らった。やがて搭乗ゲート付近の待合室へ通された。ら、なんか妙に華やかで賑やかな団体が。 そう、これから一緒になる中華航空のスチュワーデスである。はっきり言うが、このおねぇさま達、なかなかの美人揃いで、制服も紫と赤紫の2種類あり、チャイナ・ドレスをイメージするようなスリットの入ったスカートがまた妙に色っぽい。思わず視線がおねぇさま達に釘付けになってしまった。 そのうち待合室は乗客でごった返しに。見た目ではわからないが言葉から客は日本人と台湾人はほぼ半分ずつと感じた。 機内整備が遅れたのか、なかなか搭乗できず離陸時間を5,6分過ぎたところでやっと搭乗が開始となった。が、最初は「頭等及華夏艙旅客」(いわゆるFIRST CLASS と DINASTY CLASS)と子供連れからで、「經濟艙旅客」(ECONOMY CLASS)は後回しに。 やっとのことで機内へ。飛行機はB747で座席は左窓側列の通路側。景色は悪い。そして約15分遅れで離陸。 隣の席はヒゲのおじさん。話しをしてみると建設業(設計)の仕事をしている方で台湾への出張という。このおじさん、東さんといい、かつて台北に駐在していたこともあり北京語が完璧。最近は月に2、3回渡台していると言うから凄い。 機内が落ち着くと機内食が出てきた。和食と洋食の2種類用意されている。また酒類もビール・ワインともに飲むことができ、国際線とはこんなにサービスが良いものなのか、と感心してしまった。 機内のTVに時々映し出される航路位置を示す地図を見てはっと気がついた。実はこの飛行機、日本を離れるのは台湾に着陸するほんの直前なのである。それまでは沖縄県上空を飛んでいる訳で、改めて台湾が近いことと、沖縄が遠いことを実感した。 隣の東氏と色々話しをしたが、台北で宿を取っていないので不安である、というと「私の泊まるホテルでもよかったら電話してみましょう」とのこと。親切なおじさんである。 台湾が近づいてくるとスチュワーデスさんが入境カードと税関申告書を配って歩く。そこで東氏に聞きながら記入する。また一般に国際線の飛行機では復路の予約確認、いわゆるリコンファームが必要であるが、中華航空では機内で専用の用紙に記入することで済ませることができるので、そちらを利用した。 やがて飛行機は日本を離れ着陸体制に入る。真下に台湾の地面が近づいてきて、やがて蒋介石国際空港(中正國際機場)に無事着陸。
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● 中正國際機場より台北市内へ 「とうとう来たぞ!」とわくわくした気分で飛行機より降りる。長い通路にある案内は当たり前だが漢字でなんか嬉しい。なんと言っても意味が判るのはよい。 さて入国審査ゲートの手前に台灣銀行の窓口があり、まずここで両替をする。今回は5万円を交換した。レートはほぼ0.25倍。約12,500NT$を手に入れる。なお台灣ドル紙幣は「壹仟圓」が最高。なんと最高紙幣が12枚も手元に。おまけに日本の1万円札よりもちょっと長いため、財布に入れづらく慌てた。 ちなみに台灣の通貨単位は正式には「NT$」(新台灣ドル)であるが、一般には「元」「圓」等と呼ばれており、紙幣・硬貨には「圓」と記されている。 さて次は入国審査へ。さすが日本のGWは混んでいて自分の番まで15分以上かかった。機内で書いた入境カードと税関申告書、パスポート、そして帰りの航空券を係員に提出。一言も交わさずにパスポートに「入境許可」のスタンプを押され、入境カードの写しをホッチキスでとめて返された。 次に税関へ。手荷物だけなのですぐにカウンターへ。税関申告書を渡すと、行っていいとの仕草。なんともいい加減なものである。なんの緊張感もなく入国出来てしまった。でもこの国が「平和」な証拠であろう。 全て手続きが終わってから東氏がロビーでホテルに電話をしてくれた。が、結局スイートしか空いていないとのことで空港ロビーにあるホテル予約センターへ向かった。すぐに取り次いでもらい、台北車站前にある新光三越百貨(三越の現地合弁デパート)横にある「中國大飯店」に決まった。シングルで1,900元とのこと。この予約センターは無料で信用できると思われる。 さて中正國際機場は実は台北市から約40kM離れた桃園縣大園郷にある(成田空港に比べれば全然マシ)。そこで東氏と一緒にバスに乗り込む(115元)。切符は感熱紙で印字されており、改札は切符の角をちぎることで済ませている。 バスに乗り込むと、なんかすげーボロ。でも初めて左ハンドルのバスに乗ってちょっと感激。窓ガラスはフィルムが貼られており車内はちょっと薄暗い。これは強い日差しを避けるためであろう。 バスは機場からすぐに高速公路(道路)に入り爆走。車内から見える風景はのどかで、日本とそう差異が無い。車内では東氏に各種台灣情報を仕入れた。 ところでガイドブックから台灣の交通マナーは最悪であることを知っていたが、実物はやっぱその通り。まぁ路肩を走るは、無理な追い越し・割り込みは当たり前だわ、ちょっとびっくりである。なお自動車はやはり日本車が多いのだが「カローラでも左ハンドル車があったのかぁ!」なんて感じの新鮮な体験が出来る。 さてバスは台北に近づくと渋滞に巻き込まれた。そこに1台のタクシーがバスの前に割り込み、バスの運チャンが激怒。窓を明けて罵声を飛ばす。なんかちょっとビビった。この先長い台灣旅行に一抹の不安を感じた。 長い渋滞を抜け、やっと台北市内へ。と、街には色々な店の中に混じって「7−11」「養老の瀧」「吉野家」等が。「マクドナルド」や「ケンタッキー」も漢字に化けてあるではないか。これには非常に驚くとともにちょっとした安心感があった。 夜7時前、バスは台北車站付近の降車場に着き、東氏と站前の交差点で別れた。私が初めての海外旅行ということで東氏は相当心配だったらしく「是非がんばって下さいね」と励ましのお言葉を頂戴してしまった。
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● 台北 一晩目 東氏と分かれた途端、後ろから「すみません」の声。振り向くと旅行者の格好をした女の子。どうも先程のバスが同じでうちらの後をついてきていたらしい。行先を聞かれたので「中國大飯店」と応えると彼女曰く、「私もそちらに泊まろうと思っているんですけど、予約取っていないんです」。そこで2人で「中國大飯店」の受付へ乗り込む。このホテルは日本語がまずまず通じ、女の子の方も無事部屋が取れた。 でお互いに夕飯がまだだし、女の子一人では物騒なので一緒に屋台街に行きませんかと誘われたため、喜んで部屋に荷物を置いて出かける。(普通誘う方が逆だよな) 台北の西に華西街観光夜市という有名ところがあるのでそこにでも行ってみよう、とのことで地図を片手に歩きだす。 この彼女は東京の人で、台中に知り合いがいるので台灣旅行を思い立ったそうだが、以前中国にも行ったことがあるそうで、かなりの強者と見受けられた。 さて屋台であるが、結局華西街は遠すぎてあきらめ、西門町(台北の若者の街らしい)で適当に食べることとした。が、疲れと熱さ、そして街の汚さと雰囲気に呑まれて食欲が減衰しており、適当に麺類を食うに留まった。ちなみにその屋台で食べながらTVを観ていると地元の番組に松田聖子が出ていた。台灣に来てまでこの顔を見たくはなかった。そして街で店を見て歩きホテルへ戻る。 ところで明日からの日程がこの時点では全く未定。そこで街に出たついでに書店で「台灣省地圖集」を仕入れ、また時刻表を手に入れようと彼女を連れたまま台北車站まで行ってしまった(站でのみ入手可能)。しかし残念ながら売店は既に閉店しており入手できず。站の時刻表をメモってきた。 ということでホテルに戻り、そのまま素直に別れて明日に備える。なお出かけた帰りにコンビニで仕入れた台灣ビールは気の抜けた様で美味しいものではなく、「杏仁茶」はとてもじゃないが日本人には飲める代物ではなかった。 部屋のTVはNHK衛星が入ったが、驚いたのは地元のTV局が「ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」「一休さん」から最近のものまで日本のアニメを数多く放送していることである。北京語をしゃべるキャラは観ていてなんとも不思議なものである。ついでにCMも言葉は判らないけどなかなか観ていて面白かった。
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